2016年03月09日
久方ぶりの鎌倉
久しぶりに訪れた鎌倉。
その日は朝から曇天であり、今にも雨が落ちてきそうな空。
ここ数年、土日と言えば少年野球に掛かりきりで、このような時間を過ごせるのは久方ぶり。
己の本来の面目としては、詫び寂を感じ、歴史を辿ることを旨として生きておりますので、このような機会は”心”をリセットする良い時間だ。
圏央道も茅ヶ崎まで延び、車の旅も意外とストレスなくてよいものです。
とは言え、日帰りの日程でありましたので、いろいろ廻るにも時間的制約がございます。
7時半に仲間達と合流し、富士を出発。
まずは、道すがら通りかかった「円覚寺」に立ち寄る。

円覚寺は数回訪れておりますが、北鎌倉の駅を降りるとそこが円覚寺・・・
駅の風情と同化して、得も忘られぬ風景です。

円覚寺の寺名の由来は、建立の際、大乗経典の「円覚経」が出土したことからだそうです。
正式名称『大方広円覚修多羅了義経』仏教の中国で撰述された経典の一つで、「大円覚心」を得るための方法を説くものですが、その真偽の程は不明らしいですね。

次は、車で移動して杉本寺へ向かう。
近くに、最大500円と言うパーキングを発見し、そこに車を止めこの周辺エリアを散策する事にしました。
まずは、杉本寺。

ここは、鎌倉幕府が成立する遥か以前、行基の開山と言われる鎌倉最古の寺院であり、聖武天皇の后、光明皇后の寄進により本堂が建立されてという歴史も有る。
本堂の茅葺も詫び寂を感じえる素敵な場所・・・そして、中には歴史有る仏像が配置されており、本尊の十一面観音三体は得も知れぬ佇まいをみせる。
※本堂内は、写真撮影不可

ここでは、御詠歌の御朱印をいただく。
「頼みある しるべなりけり 杉本の 誓ひは末の 世にもかはらじ」
「信心の心さえあれば、観音さまが末永く見守ってくれている」という意味であるそうな・・・ありがたや。

さて、次は近くにある報国寺へ徒歩にて移動。

以下、引用です。
「この寺は、臨済宗建長寺派の禅宗寺院。淨妙寺中興の足利貞氏の父・家時(足利尊氏の祖父)が開基。夢想国師の兄弟子・天岸慧広(仏乗禅師)の開山で建武元年(1334)の創建。永享の乱(1439年に起きた足利持氏の室町幕府将軍・足利義教への反乱)で関東公方・足利持氏は敗退し、永安寺で自刃した時、その長子・義久もこの寺に入って自刃した悲劇の寺である」

ここは、竹林で有名ですが、今回は入らずじまい。抹茶の提供ができないと言う理由で浄妙寺にてお茶をすることに。


そして、鎌倉五山にも列せられる浄妙寺に向かう。

こちらも、コピペですいません。
「淨妙寺は臨済宗建長寺派の古刹。鎌倉五山の第五位で、文治四年(1188)に、源頼朝の忠臣で豪勇であった足利義兼が開創し,始めは極楽寺と称した。開山は退耕行勇と伝えられる。行勇は、はじめ真言密教を学んだが栄西の門下に入り臨済禅を修めた。源頼朝や政子、実朝も帰依した高僧である。足利尊氏の父・貞氏が中興開基で墓地に貞氏の墓と伝えられる宝篋印塔がある。本尊は釈迦如来で、境内は国の指定史跡となっている。」
こちらでは、仲間がお茶を飲みたいと言う話でまとまり、禅の庭を眺めて抹茶か、少し登った境内内にある、石窯ガーデンテラスにするかの選択で後者に決定。

http://www.ishigama.info/
生憎の雨が落ちてきましたが、屋根の有るテラス席で似合わぬ親父たちがお洒落なケーキとカフェを堪能しました。

そして、帰りに御朱印をいただく。

そして、次は鎌倉駅方面へ向かい、この旅の目的の一つである、名刀「正宗」の歴史を継ぐ「正宗工芸」へと向かう。
http://www.sword-masamune.com/

国宝にも指定される日本刀の代名詞ともいわれる正宗ですが、正宗から二十四代目の子孫に当たる人物が、正宗工芸製作所を営み、刀剣・包丁・ハサミ・小刀等を制作していると言う事で、楽しみにしておりました。

店はこじんまりとして、決して洒落た感じでないけれど、店内には何ゆえか中国人が溢れていた。聞くところによると一度製品を購入すると、殆どが一生物になるため、リピーターがおらんのだとか・・・それ故に、観光客であるある彼らの購買行動はありがたいそうであります・・・
そんな、自分はそこにて「池坊の鋏を購入」悦に浸っていると、連れの2名も購入する事に(笑)これで、今後の華道にも力が入ります。

そうこうしてる内に昼飯の時間。先ほどのカフェでケーキはかじったものの、やはり満ち足らず・・小町通りを少し入ったところにある、カレー屋キャラウェイに立ち寄る。

それぞれ注文をしたのですが、仰天したのはその御飯の量の多さ。

普通盛りで450g なり。 大盛りだとなんと!1.4キロ(笑)アラフィフの私には普通盛りでも多いくらいです。
さて、次に目指すは長谷寺。

以下、またまたコピペ
「この寺は、鎌倉時代以前からある古寺です。天平8年(736)の創建と言われ、坂東33ヵ所観音霊場の四番札所であり、本尊の十一面観音は高さ9.18mあり木造では日本一と言われています。この像は大和の長谷寺の観音様と同じ楠の一木造りで、立ち姿が美しい。康永元年(1342)に足利尊氏が金箔を施し,明徳3年(1392)には足利義満が光背を造って納めたといわれる。」
いろいろ調べては見ましたが、実際のところ残存する資料が少なく良くわからないようです。

しかし、個々の庭には様々な花が咲いております。




この長谷でお土産として買ったのが、”クルミッ子” おっさん的には良く知らんジャンルでしたが、家族をはじめうまいうまいと食べてくれました。



さて、そしてその後は極楽寺へ・・・

ここは駐車場がなく、入り口の適当なところに車を止めて散策。
境内の撮影が不可でありましたので、写真は入り口のみ
度々のコピペすいません。
「この寺は、鎌倉唯一の真言律宗の寺。建立したのは、北条義時の三男・重時。重時は、執権を補佐する連署まで務めた人ですが、政冶に執着することなく、出家してその邸に極楽浄土の姿を現そうとして大寺建立を思い立ち、正元元年(1259)に造営を始めた。ところが工事半ばの弘長元年(1261)に重時は亡くなった。その子・長時と業時が父の志を継いで完成させた。
忍性が招かれて開山となった最盛期は七堂伽藍を備え、大小49の支院があった。忍性はこの広大な境内に、慈善救済の大事業を営んだ。施楽院・悲田院・療病舎などの建物が並び、日夜多数の病者を収容し、貧者には無料で加療・施薬をした。精力的な活動をした忍性は、さらに土木事業も起こし、各地に橋を189ヶ所、道は71ヶ所もあった。
忍性は生き仏と仰がれていた。ところが元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際の戦火でことごとく焼失してしまった。今では昔の面影はないが、本堂前にある薬草をすり潰した石臼と石鉢が、忍性の大事業を示している。忍性は後醍醐天皇より菩薩の称号を貰っている。本尊は釈迦如来」

ここで「鎌倉」を後にしたわけですが、最後に圏央道寒川北ICで降りて相模の国一ノ宮「寒川神社」へ参拝して参りました。

寒川神社は、千五百年以上前の古より関東地方に於ける著名の神社として遠近に知られており、寒川比古命と寒川比女命のニ柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。古来唯一の八方除の守護神として、信仰を集めてきました。

境内は威厳があり、神域としての風格に満ち満ちており、パワースポットとして何となく悪い流れを改められるような感じがして、すっきりとしました。

今回の旅はここまで。
機会を得て、次回は何処を目指そうか・・・そう思案しているところです。
その日は朝から曇天であり、今にも雨が落ちてきそうな空。
ここ数年、土日と言えば少年野球に掛かりきりで、このような時間を過ごせるのは久方ぶり。
己の本来の面目としては、詫び寂を感じ、歴史を辿ることを旨として生きておりますので、このような機会は”心”をリセットする良い時間だ。
圏央道も茅ヶ崎まで延び、車の旅も意外とストレスなくてよいものです。
とは言え、日帰りの日程でありましたので、いろいろ廻るにも時間的制約がございます。
7時半に仲間達と合流し、富士を出発。
まずは、道すがら通りかかった「円覚寺」に立ち寄る。
円覚寺は数回訪れておりますが、北鎌倉の駅を降りるとそこが円覚寺・・・
駅の風情と同化して、得も忘られぬ風景です。
円覚寺の寺名の由来は、建立の際、大乗経典の「円覚経」が出土したことからだそうです。
正式名称『大方広円覚修多羅了義経』仏教の中国で撰述された経典の一つで、「大円覚心」を得るための方法を説くものですが、その真偽の程は不明らしいですね。

次は、車で移動して杉本寺へ向かう。
近くに、最大500円と言うパーキングを発見し、そこに車を止めこの周辺エリアを散策する事にしました。
まずは、杉本寺。
ここは、鎌倉幕府が成立する遥か以前、行基の開山と言われる鎌倉最古の寺院であり、聖武天皇の后、光明皇后の寄進により本堂が建立されてという歴史も有る。
本堂の茅葺も詫び寂を感じえる素敵な場所・・・そして、中には歴史有る仏像が配置されており、本尊の十一面観音三体は得も知れぬ佇まいをみせる。
※本堂内は、写真撮影不可
ここでは、御詠歌の御朱印をいただく。
「頼みある しるべなりけり 杉本の 誓ひは末の 世にもかはらじ」
「信心の心さえあれば、観音さまが末永く見守ってくれている」という意味であるそうな・・・ありがたや。

さて、次は近くにある報国寺へ徒歩にて移動。
以下、引用です。
「この寺は、臨済宗建長寺派の禅宗寺院。淨妙寺中興の足利貞氏の父・家時(足利尊氏の祖父)が開基。夢想国師の兄弟子・天岸慧広(仏乗禅師)の開山で建武元年(1334)の創建。永享の乱(1439年に起きた足利持氏の室町幕府将軍・足利義教への反乱)で関東公方・足利持氏は敗退し、永安寺で自刃した時、その長子・義久もこの寺に入って自刃した悲劇の寺である」
ここは、竹林で有名ですが、今回は入らずじまい。抹茶の提供ができないと言う理由で浄妙寺にてお茶をすることに。

そして、鎌倉五山にも列せられる浄妙寺に向かう。
こちらも、コピペですいません。
「淨妙寺は臨済宗建長寺派の古刹。鎌倉五山の第五位で、文治四年(1188)に、源頼朝の忠臣で豪勇であった足利義兼が開創し,始めは極楽寺と称した。開山は退耕行勇と伝えられる。行勇は、はじめ真言密教を学んだが栄西の門下に入り臨済禅を修めた。源頼朝や政子、実朝も帰依した高僧である。足利尊氏の父・貞氏が中興開基で墓地に貞氏の墓と伝えられる宝篋印塔がある。本尊は釈迦如来で、境内は国の指定史跡となっている。」
こちらでは、仲間がお茶を飲みたいと言う話でまとまり、禅の庭を眺めて抹茶か、少し登った境内内にある、石窯ガーデンテラスにするかの選択で後者に決定。
http://www.ishigama.info/
生憎の雨が落ちてきましたが、屋根の有るテラス席で似合わぬ親父たちがお洒落なケーキとカフェを堪能しました。
そして、帰りに御朱印をいただく。

そして、次は鎌倉駅方面へ向かい、この旅の目的の一つである、名刀「正宗」の歴史を継ぐ「正宗工芸」へと向かう。
http://www.sword-masamune.com/
国宝にも指定される日本刀の代名詞ともいわれる正宗ですが、正宗から二十四代目の子孫に当たる人物が、正宗工芸製作所を営み、刀剣・包丁・ハサミ・小刀等を制作していると言う事で、楽しみにしておりました。
店はこじんまりとして、決して洒落た感じでないけれど、店内には何ゆえか中国人が溢れていた。聞くところによると一度製品を購入すると、殆どが一生物になるため、リピーターがおらんのだとか・・・それ故に、観光客であるある彼らの購買行動はありがたいそうであります・・・
そんな、自分はそこにて「池坊の鋏を購入」悦に浸っていると、連れの2名も購入する事に(笑)これで、今後の華道にも力が入ります。
そうこうしてる内に昼飯の時間。先ほどのカフェでケーキはかじったものの、やはり満ち足らず・・小町通りを少し入ったところにある、カレー屋キャラウェイに立ち寄る。
それぞれ注文をしたのですが、仰天したのはその御飯の量の多さ。
普通盛りで450g なり。 大盛りだとなんと!1.4キロ(笑)アラフィフの私には普通盛りでも多いくらいです。
さて、次に目指すは長谷寺。
以下、またまたコピペ
「この寺は、鎌倉時代以前からある古寺です。天平8年(736)の創建と言われ、坂東33ヵ所観音霊場の四番札所であり、本尊の十一面観音は高さ9.18mあり木造では日本一と言われています。この像は大和の長谷寺の観音様と同じ楠の一木造りで、立ち姿が美しい。康永元年(1342)に足利尊氏が金箔を施し,明徳3年(1392)には足利義満が光背を造って納めたといわれる。」
いろいろ調べては見ましたが、実際のところ残存する資料が少なく良くわからないようです。
しかし、個々の庭には様々な花が咲いております。

この長谷でお土産として買ったのが、”クルミッ子” おっさん的には良く知らんジャンルでしたが、家族をはじめうまいうまいと食べてくれました。
さて、そしてその後は極楽寺へ・・・
ここは駐車場がなく、入り口の適当なところに車を止めて散策。
境内の撮影が不可でありましたので、写真は入り口のみ
度々のコピペすいません。
「この寺は、鎌倉唯一の真言律宗の寺。建立したのは、北条義時の三男・重時。重時は、執権を補佐する連署まで務めた人ですが、政冶に執着することなく、出家してその邸に極楽浄土の姿を現そうとして大寺建立を思い立ち、正元元年(1259)に造営を始めた。ところが工事半ばの弘長元年(1261)に重時は亡くなった。その子・長時と業時が父の志を継いで完成させた。
忍性が招かれて開山となった最盛期は七堂伽藍を備え、大小49の支院があった。忍性はこの広大な境内に、慈善救済の大事業を営んだ。施楽院・悲田院・療病舎などの建物が並び、日夜多数の病者を収容し、貧者には無料で加療・施薬をした。精力的な活動をした忍性は、さらに土木事業も起こし、各地に橋を189ヶ所、道は71ヶ所もあった。
忍性は生き仏と仰がれていた。ところが元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際の戦火でことごとく焼失してしまった。今では昔の面影はないが、本堂前にある薬草をすり潰した石臼と石鉢が、忍性の大事業を示している。忍性は後醍醐天皇より菩薩の称号を貰っている。本尊は釈迦如来」

ここで「鎌倉」を後にしたわけですが、最後に圏央道寒川北ICで降りて相模の国一ノ宮「寒川神社」へ参拝して参りました。
寒川神社は、千五百年以上前の古より関東地方に於ける著名の神社として遠近に知られており、寒川比古命と寒川比女命のニ柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。古来唯一の八方除の守護神として、信仰を集めてきました。
境内は威厳があり、神域としての風格に満ち満ちており、パワースポットとして何となく悪い流れを改められるような感じがして、すっきりとしました。

今回の旅はここまで。
機会を得て、次回は何処を目指そうか・・・そう思案しているところです。
Posted by スポット屋 taka at 15:44│Comments(0)
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