2012年05月08日
可睡斎
連休中 参拝の続き・・・
5月1日に訪れた、可睡斎であります。

前から行きたかったんすよね~
曹洞宗 大本山総持寺の直末寺院であり、この日も雲水さん達が、修行に励んでおられました。


可睡斎の名前の由緒といいますと・・・・
「和尚我を見ること愛児の如し。
故に安心して眠る。
われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」
11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまいました。
その後、浜松城主になられた徳川家康は、親しく和尚を招いて旧恩を謝し、その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ
「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」
と申されました。
それ以来仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められました。また、仙麟等膳和尚の時代、徳川家康公の帰依を受けて、天正11年(1583年)に東海4ケ国(駿河、遠江、三河、伊豆[1部])の僧録司となりました。
だそうであります。
これがかの有名な、出世六の字の穴



この日は流石に空いていましたね・・・しかも朝一番だったからな(笑)
いろんな縁起が、あります。
5月1日に訪れた、可睡斎であります。

前から行きたかったんすよね~
曹洞宗 大本山総持寺の直末寺院であり、この日も雲水さん達が、修行に励んでおられました。


可睡斎の名前の由緒といいますと・・・・
「和尚我を見ること愛児の如し。
故に安心して眠る。
われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」
11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまいました。
その後、浜松城主になられた徳川家康は、親しく和尚を招いて旧恩を謝し、その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ
「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」
と申されました。
それ以来仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められました。また、仙麟等膳和尚の時代、徳川家康公の帰依を受けて、天正11年(1583年)に東海4ケ国(駿河、遠江、三河、伊豆[1部])の僧録司となりました。
だそうであります。
これがかの有名な、出世六の字の穴


この日は流石に空いていましたね・・・しかも朝一番だったからな(笑)
いろんな縁起が、あります。